コミケおまけ

皆様、こんにちはこんばんは! @willmoniaこと若林です!


『はじめてのあずまんω』をご購入してくださり、誠にありがとうございます!

どのような感想でも、#hajiazuをつけてツイートしてくださったら泣いて喜びます。どうかよろしくお願いいたします!


誰得おまけコンテンツとして、自分、ウィルモニアのはじめてのあずまん体験と、あずまんとその家族についての愛を書いてみようと思います。愛が伝われば幸いです。

自分のはじめてのあずまん体験を語るというのは自分の略歴を語るのと同義なのでちょっと長くなりますがご了承を。

まず初めに、今自分はAppleで学生としては初めての、しっかりとした契約を結んだパートタイマーとして働いており、とてもいい経験をさせてもらってるのですが、それはひぐらし東浩紀がなければできなかったと断言できます。


自分の家には兄の影響もありジャンプ系のマンガやFFを始めとしたRPGなどが大量にあり、自分もそれにどっぷり浸かって高校まで過ごしてきました。ちなみに1990年生まれの21歳です。


活字の本などはほとんど読んだことがない、頭悪いクラスタとしての道を邁進しており、オタク系コンテンツも萌え絵だけで判断し、気持ち悪がっていました。中学の時に教室の隅でラノベ(シャナ)を読んでいた同級生をバカにしていました(今は親友です。ちなみにD社所属)


しかしその忌避感も高校に入ってから薄れていきます。というのも自分は高校の時に初めて携帯電話を与えられた世代であり、携帯上にある面白コンテンツを求めたら2ちゃん系ブログに行き着くわけです。そこで様々なネタに爆笑し、オタク的なものへ忌避感は薄れていきました。


そして高2の時、あるマンガがクラスで流行っておりました。それが『ひぐらしのなく頃に』です。これが自分の人生を大きく変えたのでした。。。


高2の冬期講習の昼休みにブックオフで買ったひぐらしはそのまま午後の講習を忘れさせるほどに自分を魅了しました。そして萌え系の絵だけでこんな素晴らしいコンテンツを忌避していた今までの自分を恨みました。

出題編を読み、そのまますぐ友達からひぐらし解の原作PCゲームを借り、テスト期間全てを使って没頭しました。そして今までの体験したコンテンツの中で最も感動した神作品となったのです。特にノベルゲームというメディアを初めてプレイし、その不思議さ・素晴らしさに心を奪われました。

ただ、何故こんなにひぐらしは凄いのか、何故自分はこんなに感動しているのか、最後の超展開とかの疑問よりも感動が上まったのは何故なのか。その理由がどうしても分かりませんでした。


いわゆる「なんか分からんけどすごい」状態がずっと続いていたのです。


まぁここでかなり価値観が変わったのですが(オタク系コンテンツへの偏見がなくなった)、東浩紀に出会ってから更に変わります。


さて、ひぐらしをプレイしてから数ヶ月がすぎましたが、他方で受験も迫っておりました。受験勉強が嫌いというクズっぷりだったので、どうにか楽に大学に入れないものか、といろいろ調べた結果、立教文学部のAO入試が内申関係なく論文と英語と面接だけで受かるというので、まず論文を書くことにしました。5000字は高校生にとってなかなか厳しいです。テーマはほぼ自由。


色々悩んだ結果、テーマはひぐらしに決定。「なんか分からんけどすごい」この作品で論文書いたら神感があると踏んだのです。

そこで論文を書くために参考文献をAmazonで購入していきました(ちなみにこの時が初Amazon)。ひぐらしの考察本やノベルゲームのシナリオハウツー本など様々な本を買い、読んでいきましたがダントツで目を引いたのが東浩紀の『動物化するポストモダン2 ゲーム的リアリズムの誕生』でした。


今まで活字にほとんど触れていなかった自分にとってはハイコンテクスト感がぱなく、1週目を読んだ時は何言ってるか全然分からん、けどすげえ!って感じだったのですが、2週目を読んだ時に、まさに蒙が啓かれた、頭がパーン!体験をし、何度も何度も読み直しました。

ひぐらしに対する「なんか分からんけどすごい」状態から、言葉が与えられた感じがし、それを参考にしながら書いた論文は学校の先生に「こんな良い論文書ける奴この学校にはいねえよ」と言われるほど絶賛されました(今見直すと稚拙極まりないのですが)。結局文学部は親に反対されたので、他の大学に行ったのですが。


後に東さんは「批評とは快楽機能の組み換え」とシンポジウムで述べましたが、まさにその通りで、一つの作品をこうも面白く、多面的に語ることができるのかと衝撃を受けました。まさに価値観が変わったのです。


そんな感じでこんな論理的かつ分かりやすい本を書いてくれた著者、東浩紀に自分が憧れを抱くのは当然の流れであり、ゲーリアの著者近影のあずまんの写真とかは自分の中でマジ超イケメンなアイドル的存在になっていきました。


ブログも読みあさり、ハイコンテクストの所は理解するよう努め、性格が出ているところは(「あなたがやればいい」とか)こまめにチェックしていきました。


また、自分のあずまん愛を増幅させたのは間違いなくネットスターの「動物化してもいいですか?」でしょう。あずまんの面白トークを見て「超すごい本を書く人」から「超面白いことも言う人」と印象がアップデートし、更に親しみ易くなり自分にとって唯一無二の存在になっていきました。やっぱ面白いって大切ですね。


2009年に大学に入ってからはあずまんの本を読みつつ、ブログもチェックし、そこでTwitterの存在を知りました。あずまんがTwitterをアクティブにしたので、自分もTwitterを始めました。そして朝生の東無双を見て更に確信を深めていきました。この人は本物だ、と。


そんなあずまんに初めて会ったのはネットスターの公開収録時で、収録後東さんは出口で座っておりファン達にサインをしていました(ついでに共演した宇野さん濱野さんは奥へ引っ込んでしまい「あいつらはダメだねーw」と東さんは漏らしていましたw)。

自分もゲーリアを持ってきていたのでサインをしてもらいましたが、その時の東さんの優しさっていったらなく、超快く書いてくれただけでなく、興奮した俺が他の人に書いているところを許可もなく写真撮りまくったりと失礼極まりないことをしても笑ってスルーしてくれたりと、リアルで会う東さんは本当にいい人でした。


さて、最初に言ったように自分は今Appleで働いているのですが、それもiPad発表時の東さんの「Appleは単なる製品を売っているのではなく、思想を売っている。それができなければ思想家も経営者もダメだ」というツイートに感化されたことにより、Appleについて興味を持ち、何冊か本を読んでApple愛を高めた結果、Appleがバイトを募集した瞬間に自分が当時バイトしていたIT系企業を一瞬で辞める決断ができたり、選考でもいろいろ話すことができたのだと思います。


まぁ本当に東さんから教わったことは数知れないというか、ハッキリ言って今の自分の8割が東さんから構成されているんじゃねというレベルです。


あずまんと家族

自分は特にあずまんとその家族(さなえ・しおね)の関係に萌えるのですが、何故こんなにあずまんとその家族は萌えるのか。それはまぁ非常に単純です。


佐々木俊尚さんが書いたAERAの記事(2010年12月27日号)でも分かるように、いろいろな理由から東さんは孤独でした。娘がいなかったらまずい時期もあったらしいです。

東さんは基本的に他人のことを考えたり理解しようとしても、ほとんどの場合コミュニケーションコストがかかるだけで無駄であると考える。しかし家族、特に子どもとはどうしても縁が切れない。だからどうしてもコンテクストを読む必要がある(Alive1)。

だからこそ、東さんの家族に対する言動には、一切のシニカルさはなく、真の愛情が詰まっているように見えるのです。

クォンタム・ファミリーズや娘ネタツイートなどを読むと、東さんは家族をキャラとして、ネタっぽく扱うことがありますが、それは対人コミュニケーションと対キャラコミュニケーションは同じであるという考え(早稲田での講演「ゲーム的リアリズム再考」)からであり、これも個人的に激しく同意なので、だからこそ、あずまんの家族への愛は本物だと強く感じるのです。

あずまんを支える娘汐音はとても大きな存在であり、それの成長日記と化しているさなえブログはやばい。これも愛しか感じない。超ほっこりする。

個人的に、東浩紀史に残るイベントであろう思想地図β出版記念イベントの成功を象徴したのは、一緒に来ていたさなえさんと汐ちゃんだったと思います。
さなえさんと汐ちゃんという、あずまんの幸せの象徴の2人が来ていた。それだけで最高のお祝いの場であると感じました。

あずまんと、その家族に幸あれ